社会で活躍するクセジュの卒業生 -6-

第6回

小阪 修さん (ジェットスタージャパン エアバス320 機長)

1.まずは自己紹介をお願いします。

小阪 修と申します。和歌山県和歌山市(和歌山県立桐蔭高等学校)出身。東京理科大学在学中の1991年から4年間、後の私の第二の故郷となる江戸川台に住みました。その4年間クセジュ中等部講師(数学、理科)として働かせていただきました。

2.クセジュの講師時代の思い出を語ってください。

当時、東京理科大学生の仲間の間では、クセジュの時間講師の募集は、競争率がとても高く(30倍くらいあったと思います)、憧れの仕事でした。採用していただいた創業者管野先生に、とても感謝しています。クセジュ先輩講師陣は、当時もクセジュ生徒出身の方が多かったですが、和歌山出身で、関西弁丸出しの私を、温かく仲間として迎えてくれました。

まず最初に、私にとって本当に衝撃的だった事。それは歳もさほど変わらない大学生の先輩塾講師、その中でもクセジュ生徒出身で管野先生の教え子の講師たちが、個性的で、才能にあふれ、コミュニケーション能力が高く、魅力的な人たちだと感じた事です。その答えは学力アップ、偏差値アップよりももっと先に照準を合わせて教育をしているからなんでしょう。

 

数ある思いでの中から一つ。

クセジュ恒例の課題図書ならぬ“課題映画会を見てもらう会”。「今年の中学2年生対象の映画を見てもらう会は、何にしようか?」と話し合って決定した映画。「スティング」というスリリングで痛快な名作でした。講師みんなで「ストーリーを理解する思考も必要で、楽しく、ハラハラドキドキで、人情身もあり、思い出にのこる映画」ということで、朝まで会議して議論し決定した思い出があります。

これはクセジュでのエピソードのただ一つにすぎませんが、一見関係ないと思われるところから教科の本質に触れていく、すなわちクセジュの原点があるのだと、今でも思います。 

現代表の鈴木先生とは、そのころクセジュの講師仲間として知り合い、本当に仲良くしていただきました。鈴木先生とは、お互いアパートに泊まりに行ったり、将来のことなど、語りつくせぬ思いを語り合ったりしました。時には指導法をめぐって熱い議論に発展したこともありました。それら1つひとつが今でも私の財産です。

 

3.クセジュで学習したこと(またはクセジュ講師として指導したこと、クセジュの事務の仕事を通じて得られた経験)が社会に出てどう役に立っているのかについてお話しください。

1つ目は“1つのことを最後まで成し遂げる根気力です。当時の代表であり、創業者でもある管野先生はほとんどの権限をわれわれ若い講師陣に与え(よほど辛抱強く、人を信頼しないとできないことだと思います)、私たちは主体的に仕事に取り組んでいました。私も、今思うと恥ずかしいくらい力不足でしたけど、それでも真剣に、真正面から生徒に対して仕事に組んだと胸を張って言えます。学生時代に、物事に真正面から向き合ってやり遂げることを学べたのは、本当に財産です。

 

次に、考える力が身に付いたことです。パイロットという仕事で必要とされる能力のうちの一つに、問題解決能力があります。日々の運航において、同じ条件のフライトはありません。同じ気象状態も存在しません。飛行機の機嫌も日によって違います。そんな中で想定しきれない問題に出くわすこともしょっちゅうです。そこにはテストの答案のように明確な答えはありません。私はクセジュで、明確に答えのない問題を解決する思考力が身に付きました。また、問題解決するには時として知識や技能だけでは太刀打ちできない発想力、創造力、いわば「感性」が必要です。そういう思考力、感性の土台をわたしはクセジュで学びました。

また、「クセジュ」という言葉が、私の心にあることも財産です。この言葉は、年齢がいくほど効いてくる気がします。(こうして文章を書いていると、クセジュでの経験が、財産だらけなのに気付かされます)

4.クセジュ生、さらには未来のクセジュ生に対するメッセージをお願いします。

 陳腐な言い方ですが、目先の偏差値アップ以上に大切なもの、身に付けるべき必要な力は、確実にあります。わたしはクセジュ在籍中に、クセジュの生徒たちがクセジュであらゆる力を身に付け、その後社会で活躍しているのを目の当たりした目撃者、証人です。クセジュを信じてクセジュで身に付けた力が後に皆さんの財産になることを信じて頑張ってください。社会人になってからクセジュで学んだことが生かされる場面に数多く直面します。ぜひ楽しみにしてください。クセジュの皆さんの活躍をこれからも期待しながら自分のレベルアップにも日々励んでいきます。