広がる“ 学力二極化時代 ”にどう立ち向かうか?

対談シリーズ

クセジュ高校部 対談シリーズ
広がる“ 学力二極化時代 ”にどう立ち向かうか?

~ これからの大学と大学入試を語る ~

対談メンバーの紹介
○ 司会
宮崎  和基
(クセジュ副代表)

○ 話者
佐々木  多門
(クセジュ代表)
倉林  洋輔
(クセジュ高校部責任者)
中村  圭佑
(クセジュ高校部理系責任者)

 

▶︎ センター試験から共通テストになることでどう変わったのか

宮崎:まずは今年から始まった共通テストの話題から入りたいと思います。センター試験から共通テストに変わりました。実際はどうだったのでしょうか?

倉林:まず英語が大きく変わりました。センター試験は筆記200点+リスニング50点でしたが、共通テストからはリーディング100点+リスニング100点となり、リスニングの配点が大幅に増えました。また文法は出題されず、文章問題のみが出題されたため、読むべき分量が増加しました。国語は、評論と小説、古文、漢文という従来の構成は変わりませんでしたが、問題文以外に解説文の読解が加わったため、英語同様文章量が増えました。地歴公民も同様に問題文も含め、全体として日本語を読む分量が大きく増えた印象です。また、暗記知識を問うだけの問題は減少し、その場で考えなければならない問題が増えました。

宮崎:知識量よりも思考力や読解力を見る問題が増えたという印象ですね。時間が足りなかった受験生が多かったのでは?

倉林:クセジュの生徒は普段から読解を中心に受験対策をしているので、あまり時間が足りなかったという声はなかったですね。しかし一般的に見ると、長い文章をただ読むだけでなく、読解力も問われるのでかなり時間は足りなかったと思われます。

宮崎:理系のほうはどうだったのでしょうか?

中村:試験の形式は従来通りマーク式で変わりはありませんが、設問を解くために必要な情報の出し方が変化したように思います。

宮崎:設問を解くための情報の出し方が変化?具体的にはどういうことですか?

中村:センター試験は問題のテーマがかなり明確で、かつ解法も受験者が比較的自由に展開することができました。一方共通テストでは2人の会話に沿って論理展開していく問題が出題されました。

佐々木:他者の考え方を把握しながら問題解決に向かうという、従来、あまり問われなかった能力が必要となるということですか。

中村:その通りです。会話の登場人物の視点で論理展開をしていく能力が問われます。相手の立場に立って考える想像力というか

宮崎:クセジュでは小中学部も高校部も授業の中での議論を通じて、他者と自分の考えを相対化する機会が数多くあります。普段からこのようなことに慣れているクセジュ生は共通テストになったところで特に大きな変化を感じなかったのではないでしょうか。

中村:生徒の感想を聞く限りそうでした。むしろ新しい出題形式を楽しんでいた生徒が多かったようです。

宮崎:話は変わりますが、我々や保護者の皆様の受験当時を振り返ってみましょう。佐々木先生、センター試験の思い出は何かありますか?

佐々木:ずいぶん昔の思い出ですね(笑)。確か浪人時代のセンター試験だったと思いますが、当日は大雪でした。会場の筑波大学へ到着することがまず大変でしたね。

宮崎:当時つくばエクスプレスはありませんでしたからね。まずは受験会場に行くこと自体が試練だったということですね。

佐々木:その上、柄にもなく緊張し、日本史の試験終了時に後ろから答案を回収している途中で答案に名前を書いていないことに気付きました。すぐに試験監督に名前を書いていないので書かせてほしいとその場で頼みましたが、「ここでは受け付けられない、管理センターに問い合わせてください。」と取り合ってくれませんでした。

倉林:もし答案回収中に慌てて名前を書いたりしたら、不正行為で全て失格になってしまいますからね。よく冷静に対応できましたね(笑)。

佐々木:いや、かなり狼狽しましたよ。その後管理センターに電話をしたのですが、名前を後で書くことは不可能だと言われました。まさに茫然自失。とにかく日本史は0点になってしまうので、次の日、現代社会という科目に急遽エントリーしました。ところが、なぜか日本史の感触より良く、現代社会の方が自己採点は良かったという

中村:一般常識と勘で対応したのですね(笑)。理系の佐々木先生からすれば理系の核になる教科、例えば物理や化学でなくてよかったと思います。

佐々木:すべて結果オーライです(笑)

宮崎:私は現役と浪人の2回センターを受験しました。私立文系に完全に絞っていたので受験したのは英語、国語と日本史の3科目のみでした。現役の時は一問分の点数が足りずに、志望していた大学の足切りにあってしまいました。

佐々木:私立でも出願の足切りがあるのですね。

宮崎:あるんです。相当落ち込みました。ちなみに浪人の時に覚えているのは現代文の問題に井上陽水の歌詞が出たことです。それなりに世間で話題になっていたようですが…。

中村:井上陽水の曲を普段から聞いている人にとっては若干有利になったんですかね?

宮崎:気持ち的に有利になるだけだと思います。知らなくても文章を読めばわかりますからね。私の時代のセンター試験は、なんだかんだ言って知識量がモノを言ったように感じます。” 国語は読解力が必要 ”と思われがちですが、そのような力が必要なのは現代文の中のほんの数問だけで、古文や漢文も含めて知識さえしっかりと身につけていれば間違うことはありません。

倉林:その通りですね。我々の頃は本当に読解力を問う問題は数問しかなかったと思います。

宮崎:とはいえ、現役でも浪人でも私は古文の知識問題で失点していましたが。私自身、センターの問題を解くときには、読解力というよりも、出題者がどうやって受験生をひっかけようとしているのか、を考えながら選択肢を選んでいました。そのような意味では、試験というよりも推理問題を解いている感覚でしたね。

倉林:予備校の、特に講習時期に必ずあるセンター国語対策。これはまさに出題者の意図に沿って選択肢を絞っていくという手法、いわゆるテクニックを伝授する講座です。設問の選択肢を絞るテクニックが得られるということで、受験者からのニーズも多かったと思われます。それくらい対策が立てやすい問題でしたね。

宮崎:国語は、答えの根拠が誰にでも分かるくらい明確でないと、問題として成り立ちません。文章を書いた人と問題作成者は別人であることがほとんどなため、問題を作成するにあたっては、かなり労力がかかると思います。

中村:問題作成者のレベルも相当問われますね。

倉林:そうですね。だから、設問を難しくするというよりも、なぜ違うのかという根拠が明白なひっかけ問題をちりばめたり、読む文章の難しさで難易度をコントロールしたりするしかありません。これが今までのセンター試験の国語の特徴でしょう。

宮崎:さて、センター試験から共通テストになって「どのように変わったのか」の概略はわかりました。それでは「なぜ変わったのか」に関して何か皆様ご意見はありますでしょうか?

中村:共通テストの目的として「知識の理解の質を問う問題や、思考力、判断力、表現力などが求められる問題を重視する」と告示があったように、全体的にその意図は感じられました。

倉林:全教科通して文章量が圧倒的に増えたのは、「思考力、判断力、表現力」を国語力で測ろうとしている証です。

佐々木:AIやグローバリゼーションという言葉に代表されるように、この10年で社会の枠組みが急速に変化しました。今後その傾向はさらに顕著になることでしょう。その中でまずは新しく導入した共通テストでこれから必要な学力や能力を多角的・多面的に問う。これが入試傾向の変化の背景にあると思います。

倉林:目的はとても良いと思いますが、多くの生徒が受験する共通テストで思考力や読解力、そして記述力といった、これからの時代に必要になる力をマークシートで測るのは、問題作成側の力量が相当問われると言うことではないでしょうか。

中村:各大学作成の二次試験ならまだしも、一次試験すなわち共通テストでの大幅な改良は難しいのではないかと思います。意図はわかりますが、実際に意図通りの変化が出せるかどうかは正直疑問です。

倉林:当面は問題作成者の試行錯誤は続くでしょうね。

 

▶︎ 今後日本の大学入試はどのように変わっていくと思うか

宮崎:今後日本の大学入試制度、そして日本の大学の仕組み、さらには受験生の大学観はどのように変わっていくのでしょうか?

佐々木:ここ5年から10年ほどの間に国際バカロレア(IB)という言葉が日本のいたるところで聞かれるようになりました。ヨーロッパでは国際バカロレアに基づいて大学に入学したり、編入したりすることが主流になっています。その波が日本にも到来しつつありますね。

宮崎:国際バカロレアという言葉を簡単に説明してもらえますか?

倉林:文科省のホームページ(IB教育推進コンソーシアム)に詳細が載っています。国際バカロレアとは国際バカロレア機構が提供する国際的な教育プログラムのことです。「世界の複雑さを理解して、それに対処できる生徒を育成し、未来へ責任ある行動をとるための態度とスキルを身に付けさせるとともに、国際的に通用する大学入学資格(国際バカロレア資格)を与え、大学進学へのルートを確保する」ことを目的として1968年に設置されました。

宮崎:まさにこれからの日本に必要な人材ニーズを満たしているプログラムですね。

佐々木:その通りです。国際バカロレアは認定校に対する共通カリキュラムの作成や、世界共通の国際バカロレア試験、国際バカロレア資格の授与等を実施しています。資格を得るための試験はいわゆる知識を問うものではなく、知識を活用する力を試す問題が中心です。当然、日本で今年から導入された共通テストもバカロレアの影響を受けていますし、今後も参考にするはずです。

宮崎:社会で有用な人材を即戦力として送り込んでほしいという財界、経済界からの要望が、大学入試でバカロレア型の試験を導入した背景にありそうですね。

中村:そうですね。バカロレア教育プログラムは「多様な文化の理解と尊重の精神を通じて、より良い、より平和な世界を築くことに貢献する、探究心、知識、思いやりに富んだ若者の育成」を目的としています。世界基準で考えたときの「真の国際人とは何か?」という問いに対して最も明確な答えを出してくれるのがバカロレア教育プログラムであり、バカロレア基準なのです。現時点で世界140か国、4500校、130万人以上が国際バカロレアのカリキュラムで学んでいます。文科省としても日本国内で国際バカロレア認定校を200校にする計画を立てています。

宮崎:今後国際バカロレアの存在がより大きくなりそうですね。ちなみに東京大学も世界基準を意識し様々な改革に取り組んでいますね。

倉林:世界基準に合わせて秋入学の検討をしていた時期もありました。世界の大学ランキングを見ても東京大学はトップ10どころかトップ20にも入らない。そのような焦りも背景にあると思います。

宮崎:今後日本人でも優秀な人材は、バカロレア資格を取ったり、直接試験を受けたりして欧米の大学に進学する傾向が強まるのでしょうか?

中村:確かに日本のトップレベルの高校ではすでに、東京大学ではなくハーバードやケンブリッジ、マサチューセッツ工科大学、スタンフォード大学など海外の大学を志望する生徒が出ていることは事実です。共学では全国トップの進学校、渋谷教育学園幕張高校でも海外志向がここ数年増えてきていると聞きます。

宮崎:中村先生も4年前にアメリカの大学で研究をされていましたよね。

中村:はい。数学の研究のためにプリンストン大学で学んでいました。とにかく教授陣は言うまでもなく学生のレベルも高く、じっくりと腰を据えて数学三昧の生活を送ることができました。教員の待遇や、学生のサポート体制は、正直日本よりも整っていると思います。

宮崎:確かに日本の教職員への待遇は、先進国の中であまり高くないかもしれませんね。結果、優秀な人材は大学に残らず一般企業に行ってしまう。佐々木先生。母校の東京大学を中心とする日本の大学は今後どうなっていくと思いますか?

佐々木:何も手を打たなければ、優秀な人材が学生時代から海外に流出する傾向は強まりそうですよね。そもそも日本では大学受験までに悪い意味での勉強をしすぎていると思います。いわゆる受験勉強にどっぷりつかってしまい、大学入学前に疲労してしまう。そして大学を卒業さえすれば安定した社会生活を送ることができる。世界的に見たら異例のこのような社会構造を変えない限り、日本の大学の明るい未来は見えづらいですね。

宮崎:これは偏差値至上主義の大学入試システムの弊害ですね。だからこそ悪い意味での勉強ではなく真の勉強、すなわち大学入学後に学ぶ意欲が高まる勉強をして大学に入ってもらいたい。そのような願いを込めた大学入試制度改革なのかもしれません。

倉林:そうですね。例えば東京大学は推薦入試を導入しました。いわゆる受験勉強ばかりやってきた人ではなく、バランスが整った人材を入学させようとする意図が明確になっています。

佐々木:ここで私が1つ強調したいのは、大学受験や大学の環境だけが問題なのではなく、送り込む側、すなわち中高の先生や我々塾の先生たちにも責任があると思います。

宮崎:責任?具体的にどういうことですか。

佐々木:学校の先生や予備校の先生は、これまでずっと偏差値が少しでも高い大学に入ることを目的とした指導をしてきました。その結果、大学入学のための準備、いわゆる受験勉強をしっかりこなした人が偏差値の高い大学・学部(例えば医学部)に進学します。医学部は国家試験があるので相当勉強させられますが、その他の学部では大学に入学することで人生の一番大きな目標が達成されたというムードが出来上がってしまうのです。

宮崎:聞くところによると地方の公立トップ校の進学指導では、成績優秀者には国公立の医学部の受験を勧めるらしいです。まさに偏差値至上主義の典型ですね。

中村:あくまで私の主観ですが、大学に入ってから勉強しない生徒の割合は欧米と比べて高いのではないでしょうか。特に、大学入学時から自分でテーマを決めて主体的に学ぶ学生の割合は欧米と比べて低いと思います。これはアジアや欧米からも日本の大学が敬遠される原因の1つだと思います。

一同:(自分の大学時代を思い出しながら、まさに自分がそうだったかのようにうなずく)

宮崎:今までの日本の大学入試問題は十分な知識を身につけ、テクニックを鍛えれば対応できる。すなわち我々送り出す側にとっても対策が立てやすかったわけですね。ゆえに少しでもレベルの高いところに行くために、大学入学前に必死に受験勉強をする生徒が多いのではないでしょうか。

倉林:だからこそ入試問題も今年から導入された共通テストのような「理解の質を問う問題や、思考力、判断力、表現力を重視した入試」を謳っているのです。

宮崎:ただどんなに入試傾向を思い切って変えても、「大学に入るためのテクニックを受験生に与えることが教育である」という価値観をもった大人がいる限り、本質的な解決にはならないような気がします。つまり送り出す側である我々の意識を変えていかなければ。

倉林:本当にその通りだと思いますね。大学に行くことを目的にするのではなく、大学に行って何をするのか。すなわち大学を手段として捉え、その後どのような生き方をするのか。そのようなイメージを高校3年間でしっかりと持たせたいですし、我々周りの大人が持たせなければならないと思います。

佐々木:ここで、「大学のあり方」についてお話したいと思います。今後10年で大学の人気、偏差値は大きく変わると思います。特に私立大学は少子化に伴い人気が二極化し、淘汰されていく大学もあるでしょう。逆に、これからの時代を見据えた教育を取り入れ、スピーディーに改革している大学は、現在の偏差値とは関係なく一気に人気を獲得するチャンスがあると思います。

宮崎:かなり思い切った予想ですね。

佐々木:すでにその予兆はあります。例えば立命館アジア太平洋大学(APU)や、秋田にある国際教養大学は基礎学習分野をピンポイントに絞り、その代わりにどんどん新しい取り組みを行っています。10年後は一気に人気校の1つになっている可能性もあるでしょう。

倉林:国際教養大学はすでに人気が高く、社会からの評価も高いです。まさに国際バカロレアが求める人材育成に近いものがありますしね。

佐々木:一方で、私立のマンモス大学については、学部・学科による差が激しいために、全体としてはやや人気は鈍化するのではないかと思います。そうなってくると、あくまで私の主観ですが「大学名」というよりは、さらに狭い範囲「どの大学のどの学部か?」、さらには「どの教授の研究室か?」と言ったところでの差が大きくなってくると思います。

宮崎:国際バカロレアを中心にした世界の枠組みに近づけていくことも非常に大切ですが、一方で日本の大学の良い部分もしっかりと見つめなおす必要性を強く感じます。なんでも欧米を基準に考えるのではなく。

佐々木:私もそう思います。大学は本来専門性を身につけるだけではなく、教養を深める場でもあります。大学はただスキルを身につけるだけの学校ではありません。まずは教養を身につけ、その中で自分自身を相対化しながら社会で生かすためのスキルを身につけていくのです。大学には教授、准教授、講師などあらゆる分野の専門家たちが集まっています。彼らから様々なことを吸収するべきです。「大学の先生」とひとくくりで考えるのではなく、例えば、教授の数だけ学説もあるわけですから、学生自身が知的関心を持ちイニシアティブをとって学んでほしいです。

宮崎:確かに自ら学ぶ姿勢があれば日本の大学でも十分に学ぶ価値はあると思います。ですから大学側もなんでも欧米中心で物事を考えすぎず、日本の大学の歴史や伝統をあらためて見つめなおし、その良い部分はしっかりと踏襲し、そこを伸ばしながら10年後も輝き続けてもらいたいです。

佐々木:小学校、中学校、高校、大学の中で最も勉強する時期は大学であるべきです。それを日本は忘れてしまっています。そのような方向にもっていくことが送り出す側である我々の使命だと思います。クセジュでもそれをひとつの大きな軸にして引き続き教育活動に邁進していきます。

 

▶︎ クセジュ高校部のこだわり

宮崎:それでは最後にクセジュ高校部について少しお話してもらえますでしょうか?

倉林:クセジュ高校部は生徒たちが大学に入ってからも、知的関心を持ち、主体的に学びつつけてもらうことを前提に難関大学進学のサポートを行っています。

宮崎:大学に入ることが目的ではなく、入ってから学ぶことを前提にした受験指導ということですね。特に受験指導等で注意しているところは何でしょうか?

倉林:少し細かい話になってしまいますが、例えば難関大学の英語は単に速く読み、何となく内容が取れればいいというものではありません。「脳と神経細胞の働き」「ホームレスの排除がはらむ問題」(東大)、「人間と創造性」(東工大)、「歴史と真実」(東京外大)、「多文化主義と民族主義」(東京学芸大)、「アフリカで育ちつつある民主主義」(一橋大)など、このような抽象的なテーマを正確に読解し、緻密に思考しなければなりません。これは、英語だけでなく、現代文や地歴公民教科でも言えることです。このような正確さや緻密さにはかなりこだわった指導をしております。

佐々木:抽象的なテーマを正確に読解し、緻密に考察するにはそれ相応の知識や教養も必要ですよね。

倉林:もちろん、知識をしっかりと身につけることは大事ですが、それ以上に知識を自分自身に深化させることのほうが重要です。受験テクニックや知識を大量に教え込み、処理能力を高めさえすればよいという指導とは一線を画しております。そのような力だけで対処できる大学は未だはびこっていますが…(笑)。

中村:クセジュ高校部では、目先のテクニックに走るのではなく、大学側が求める力、さらにその先の社会に出てからも真に役立つ力を養うために、あくまでも学問の本質を追究し、深く思考する力を重視し、授業内外で教養を身に着けていくように指導しています。

宮崎:まさにクセジュ高校部三本柱の「本質追究」「思考力錬磨」「教養力涵養」ですね。

倉林:はい。この3つをお題目ではなく、具現化するために普段の授業は当然のこと、クセジュ高校部独自の取り組みとして総合講座を開講しています。これは英数国といった狭い科目の枠を取り払い、現代社会のさまざまな問題点と学問研究との接点を、受講生の知的好奇心を喚起しながらわかりやすく解説する講座です。大学教養課程レベル、時には専門課程レベルにまで踏み込んで展開される「総合講座」を通して知的刺激を受けたクセジュ生は、大学での勉強のモチベーションが高まり、並みの 高校生とは次元の異なる視点を身につけます。その結果、大学に入ってからも、燃え尽きることなく主体的に学んでくれるようになるのです。

宮崎:卒業生から総合講座で学んだことが実際の入試で出題されたという声をよく耳にします。

倉林:普段の授業より総合講座の方で意欲を発揮する生徒もいます(笑)。卒業生のそのような声は、大学入試のための教養ではなく、大学に入って教養を深めていくためのきっかけや土台作りという我々の位置づけが奏功しているのかもしれませんね。

中村:ひとつ強調したいことがあります。それは高校課程までで学ぶ内容は皆さんが思っている以上に多くの、そして深い「気づき」を与えてくれます。これは学習指導要領が変わっても数十年間ずっと変わっていません。なぜなら文科省の本来のこだわりが実は一貫しているからです。

佐々木:我々は昨今の「大学入試改革」という仰々しい言葉に怯え、これまでとは別の能力を身につけなければならないと焦ってしまう部分もありますよね。

中村:マスコミを始め自分の周りで騒がれるとついつい迎合してしまう気持ちも分からなくはないですが、物事の本質を捉えようとする習慣とスキルがあれば無用な焦燥感に駆られることも少なくなり、真に独立した個人を確立できると考えています。クセジュ高校部の強いこだわりはこういう素養を大学入学前に少しでも身につけるところにあるのです。

宮崎:クセジュ高校部のこだわりをより強固なものにしていくことで、これからの大学入試制度の改革や大学自体の変革に十分対応できるということですね。よくわかりました。皆様本日はありがとうございました。

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