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[やみつきニュース]国語と映画をつなげてみる

2017.11.18 松葉教室ブログ

こんにちは。講師の松岡です。前回は『罪と罰』と『異邦人』をつなげて考えてみました。「どう生きるのか」問題が近代になって出てきたという話でしたが、今回は映画とつなげて考えてみようと思います。
F.フェリーニの映画『甘い生活』(1960)にも、人生の指針をなくした主人公マルチェロが豪華な生活を送りながらも、自らの生きる指針が見出せず苦しむ姿を見ることができます。そんな「苦い生活」を送る中で救いを求めるように駆け込んだ先が教会であり、神を信仰しながら穏やかに生きる友人スタイナーのもとでした。困ったときの最後の砦が神だったということなのでしょう。しかしマルチェロの理想どおりの生活をしていると思っていたスタイナーもまた苦悩を抱えており、自殺してしまいます。神も指針や支えにならないことにスタイナーは気付き、密かに悩んでいたんですね。スタイナーの死に絶望したマルチェロは、また苦悩の生活へと返っていってしまいます。またゴダール監督の映画『気狂いピエロ』(1965)では「生きる指針」を巡る物語が男女二人の人生を通して描かれています。

『気狂いピエロ』
主人公フェルディナンはパーティーで知り合った映画監督に、映画とは何かを聞く。その返答は以下のようなものだった。
「“映画は戦場のようだ”」
「“愛”であり、“憎悪”、“行動”、“暴力” であり、“死” であり、つまり“感動”である」
詩や文学を片時も離さない主人公は、まさにその芸術を基軸とした“戦場”に自らの人生を投げこんでいく。

ヨーロッパの話ばかりですが(笑)、今の私たちにも無縁の話ではありません。社会のめまぐるしい変化の中で「どう生きるべきか?」という問題を突きつけられています。物質があふれ、生きていくこと自体には困らない世の中になりました。しかし色々な刺激があふれかえっているせいで、「自分はどう生きたいのか?」「何者になりたいのか?」が見えなくなってしまいました。そのせいでどう生きたらよいのか、漠然とした不安を抱えている。そういった意味では、私たちはマルチェロに近いのかもしれません。またコミュニケーションが薄っぺらくなることにより自分の狭い世界に閉じこもって、自分だけで完結してしまうような「閉じた人格」を持つ人々も多くみられるようになりました。ラスコーリニコフもそのような人物です。彼はその結果道を誤ってしまうのですが、決して他人事ではありません。だからこそ人は学び、多くに触れ、人と高めあった上で自分がどう生きるかを考え出していくことが必要なのではないでしょうか。

文学は社会や自己を映す鏡であり、向き合うことによって多くを私たちに教えてくれます。国語というと「文章を読んで、作者の言いたいことを理解する」だけの科目だと思われがちです。また国語の授業といっても問題を解く、解き方を伝えることで終わってしまうものも少なくありません。しかし国語はそんな狭い学問ではありません。作品を考察し、他のものと繋げ、現代において共通することを見出すこともまた国語です。生徒たちにはそんなことを「クセジュの国語」を通じて体感してもらっています。
作品を飛び越え縦横無尽に「遊ぶ」こと、そんなことが国語を介してより多くの人に伝わればいいなと思います。

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